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n221k

Author:n221k
221系が好きな鉄道ファンです。

高校生の頃に写真部に入部して鉄道写真を撮り始め、撮った写真をアップするためにブログを始めました。

大学時代はアルバイトで貯めたお金で遠征を楽しみ、就職してからは鉄道模型にも手を出して・・・
仕事も鉄道員さんを目指していましたが、夢はかなわずとも、違う形で鉄道に携われる仕事を頑張ってます。

そんな社会人4年生のブログです。







コメント、大歓迎。
相互リンクも募集中・・・。



※コメント欄を掲示板のように利用する事を禁止します。管理人が不適切だと思うコメント等は容赦なく削除させて頂きます。
また、当サイトに掲載されている写真の転載等は固くお断り致します。

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闇、そして、照らす存在・・・




調べている最中に・・・リンクを経て知った物語・・・。









『工事は大林組が請け負い、1911年(明治44年)に着工された。建設は地質の変化や湧水等に悩まされ、予想外の難工事となった。工事費用が見込みを上回ったため、当時の大軌(大阪電気軌道)社長である岩下清周は、私財を叩いて建設を続行させたという。また1913年(大正2年)1月26日に発生した落盤事故では152名が生き埋めとなり、20名の犠牲者が出た。当時の建設現場の過酷さや劣悪な労働条件、また朝鮮半島からの出稼ぎ労働者[1]も犠牲となっていることなどから、現在でも非難の対象となる場合がある。

工費の支払いや利用不振から、大軌は同トンネル開通後しばらく社員の給料支払いや切符の印刷費にも事欠くほど経営が行き詰まり、取締役支配人の金森又一郎が生駒山にある宝山寺へ賽銭を借りに行った。また建設した大林組も、大軌による建設費の支払い遅延から一時経営危機に陥った。しかし、そのような状況にもかかわらず、大林組は手抜きをせず最高の資材を使って工事を進め、検査に来た監理局員がその質の高さに驚かされたというエピソードが残っている。

by Wikipedia




このエピソードには、まだ続きがありました・・・。















『開通して間もない6月下旬には、社員給料の支払いはおろか翌日に使う切符の印刷費も出せないほどに財政が窮乏した。同社の取締役の一人であった金森又一郎(後、同社の代表取締役・社長)は夜遅く宝山寺に向かい、寺に乗車券10万枚と引き換えに賽銭を貸して頂けないかと頼み込んだ。その結果、当時の管主は「大軌が開業する際に宝山寺が生駒に駅を設けることを請願したため、貴社は生駒トンネルの建設に苦しむこととなった。よって当寺にも大軌の苦境の責任がある。力になれるならぜひとも」として、快く資金を都合してくれたという話が残っている。この賽銭は給料にも回されたため、当時の大軌社員の給料袋はズッシリ重かったという。

今も宝山寺には、金森の書いた借用証書が残されているという。また、日本初のケーブルカーが生駒に開業した要因の一つには、上記の話に対する大軌の礼というものもあったといわれる。』

by Wikipedia


>当時の大軌社員の給料袋はズッシリ重かったという。
皆さんお分かりだとは思いますが、これは給料が多かったということではなく、小銭だらけで重かった・・・と言うことだと思います。









それにしても、当時日本で2番目に長く、初めての標準軌複線トンネルと言えども、ひとつのトンネルにここまでのエピソードがあるとは思いませんでした・・・。
駅を設けて欲しいと言ったからと言っても、乗車券10万枚はもの凄い金額になると思われます。それを快く受け入れると言うのは、それ相当の覚悟があったはず・・・(しかし、それはトンネル工事を貫いた鉄道会社も同じでしょうが・・・)。それを覚悟出来たのは、本当に鉄道を必要としてくれていたから・・・。そして、その鉄道を必要としてる声に、会社の経営危機に陥ってもなお、応えてくれた鉄道会社への感謝・・・。そんな気持ちでいっぱいだったからだと思います。

しかもそのお寺の気持ちにも、ちゃんとお礼をしている・・・。まだまだトンネルの事なんて分かってないのに、少しスッキリした気持ちになりつつあります・・・。




そして後回しになってしまってますが、工事を担当された大林組の方々・・・。きっと、自分達の組に、仕事に、誇りを持って工事をされたのだと思います。
そのトンネルの丈夫さは、100年近く経った今でも、とても頼もしく見えました。本当に、綺麗に、美しく、そこにありました・・・。









C53機関車

『鉄道』・・・やっぱり、一言では表しきれないものがあります。


























近鉄さんに断れても、やっぱりもう一度行こう。
今度はちゃんと、宝山寺にも行こう・・・。



生駒トンネル・・・心霊スポットなんて言わせない。それから、もう怖がらない。たくさんの努力や協力、そして命が詰まったトンネルを、『怖い』の一言で表した自分が恥ずかしいです・・・。



気分 | 19:21:02 | Trackback(0) | Comments(4)
コメント
じゃあ、もう一人で大丈夫だな

あとビデオありがとう。ちゃんと映ってたわ

でも最後に映ってたのはノーコメントで…
2008-09-18 木 21:06:36 | URL | ミッキキ [編集]
はいはい。
ノーコメントなら最初から言うなよ。
2008-09-20 土 11:23:26 | URL | N221系 [編集]
こんばんは。

先日から何度も読ませて頂いていました。
生駒トンネルのこれまでを「感動」などと、一言では本当に表現できないと、私も思いました。
そして日本の各地に、このように工事へかける強い信念や執念がつまったトンネルがあることと思います。
また当時の工事には悲しい事故や過酷な労働、人種差別などもつき物だったようですね。
そんな背景を知ることで、噂話にとらわれずに真実を見つめることができるのだと思います。
私も、このお話を知ることができて、良かったです。
2008-09-24 水 23:05:16 | URL | 水無月 [編集]
こんばんは。


>水無月さん
何事もきっとこのトンネルと同じなんでしょうが、このトンネルの話を知った時は本当にたくさんのものがつまって出来たトンネルなんだと思いました・・・。

これからもゆっくり調べていきたいと思います。
コメントありがとうございましたm(_ _)m
2008-09-25 木 20:15:21 | URL | N221系 [編集]
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